
大のビール党福沢諭吉
一万円札でおなじみの福沢諭吉。
日本の近代史で超有名人ですが、実は日本のビール史を語るうえでも外せない「大のビール党」なのです。
今回は、禁酒中であってもビールだけは手放さなかった理由を少しだけ紐解いてみます。
心をひらくお酒?

■ 牛のように飲み、馬のように食べた若き日
もともとの諭吉は、自他ともに認める酒豪。
「牛のように飲み、馬のように食べる」と言うほどで、若い頃は日本酒をかなり飲んでいたようです。
しかし30代半ばで体調を崩し、きっぱりと断酒を決意しました。
ところがその後、欧米渡航で “麦の酒”、ビールに出会います。
■ 苦い、けれど胸をひらく
著書『西洋衣食住』の中で、彼はこう書いています。
「麦からつくられ、味は苦い。しかし、胸の内を開くのに妙である」
この一文が、すべてを物語っています。
ビールは、ただのアルコールではない。人と人のあいだを、少しゆるめるもの。
晩年の福沢家には、常にビールが用意されていたそうです。
来客があれば、まずビール。そして語る。議論する。
ビールは“場をつくる飲み物”だった、というわけです。
■ 「ビールは酒ではない」という線引き
有名な話があります。
禁酒中にもかかわらず、彼はこう言いました。
「ビールは酒ではない」
もちろん、酒です(笑)
ただ彼の中では、はっきり分かれていたのでしょう。
酔うための酒と、ひらくためのビール。この違いが、妙にしっくりきます。
■ ひらくための一杯、という選び方
ここで少しだけ、視点を変えてみます。
ビール=とりあえず一杯。
もちろんそれも正解。
でも、
・誰かとゆっくり話したいとき
・少し本音を引き出したいとき
・気まずい空気をほどきたいとき
そんな場面で選ぶ一杯。ビールの苦味は、“会話のスイッチ”として働いてくれるのかもしれません。
この一杯は何をひらくのか。
そう思ってグラスを傾けると、いつものビールがほんの少しだけ深くなる。
福沢諭吉が、ビールだけは手放さなかった理由も、案外そんなところにあるのかもしれません。
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